昨日、母の葬儀を済ませました。ご会葬くださいました皆様に厚く御礼申し上げます。母は88歳、米寿を迎える年に永眠しました。悲しむより祝ってあげなければならないのかもしれません。少しばかり母の話をいたします。
母は、昭和2年生まれ、当然、青春期は戦争時代で軍国主義一色、虹色の青春など夢のまた夢、結婚子育ては戦後の復興、高度成長時代、貧しくとも働けば報われる時が来る、夢を持った時代、まさに昭和の生き証人でした。5人の子供を育て上げましたが、55歳で夫と死別、以後33年間、見事な人生を歩んできました。 64歳で自動車運転免許を取得、それまで家族の誰かに頼ってきた人生から離別し、独立して生きようとした母の決意だったのでしょう。行動範囲は広がり、私は母の交流関係をつかみ切れていません。拓本の会、老人会、抑留者遺族会、生命保険代理店の会、膝関節の会・・etc 。
母の偉業はこればかりではありません。5人の子供、13人の孫、そして10人の曾孫。子供と孫はもう増えることはありませんが、曾孫はまだ増える見込みです。私は、そう遠くなく、40人の母の子孫を集合させることができそうです。
母は晩年、俳句をたしなみました。たくさんの句を残しています。孫と遊んだ句「毛虫這う あたり通れず 回り道」。亡き夫を詠んだ句「風に乗り、亡夫(ツマと読む)も来てしか 桜狩り」。
天寿を全うした母に、感謝と敬愛の念を禁じ得ません。