3月議会が終了するや、筑政会全員で岩手県宮古市の被災地視察に赴きました。3.11から丸1年を経過して、復興はどの程度進んでいるか、当時の行政の対応に反省すべき点はなかったか、我われの防災計画、今後の支援のあり方を検討する資料とすることを目的としています。
宮古市の市庁舎は6階建てで、リアス式海岸の入江のほとりに位置しています。職員や居合わせた市民は、震災当日眼下に大津波の猛威を、なすすべもなく見つめていたそうです。1階は天井まで波にさらわれ未だに復旧していません。市庁舎に残された職員、市民は一睡も出来ずに翌朝まで真っ暗な中、閉じ込められていたそうですが、不安と緊張のため、空腹や眠気を感じなかったそうです。死者560名という凄惨さを強いられました。当時の写真は職員が市庁舎6階からとったものですが、リアルな臨場感が伝わってきます。
瓦礫は見事に片付けられていました。町の復旧は早かったようです。宮古市は広大な面積があり、津波や地震の被害を受けなかった支庁舎がいくつかあり動ける職員を確保できたこと、重機を扱う業者が多かったことが幸いしました。
しかし、津波の爪痕は深いものがあります。住宅地の一角は数十件分の基礎だけが晒されています。海岸近くの食品工場は取り壊しを待つばかりの姿です。復興とは程遠い状態です。放射能禍がないことがせめてもの救いです。