筑西市は、福島県伊達市と友好都市関係を結ぶ計画であり、9月の定例会ではそのための条例案が出される予定です。伊達市と筑西市は歴史的なつながりがあります。伊達市の歴史を知るため、そして親善を目的に訪れました。
約900年まえ、平安末期、筑西市の中舘地区を中心として伊佐(いさ)という地域(荘・しょう)がありました。ここを治めていた一族は伊佐氏を名乗っていました。時の伊佐城主・伊佐朝宗(ともむね)が 東国の覇者源頼朝の御家人として奥州藤原攻略に従軍し、武功を挙げたことで藤原氏の所領であった奥州伊達郡を拝領し、その後移り住み伊達氏を名乗った経緯があります。
伊達市を訪問してわかったことですが、伊達市側の資料では、伊佐朝宗を常陸入道念西(ひたちにゅうどうねんさい)あるいは中村念西と伝えています。そしてこの念西が伊達氏の初代であり伊達朝宗(だてともむね)としています。伊達氏のルーツは旧下館に存在した伊佐荘(いさのしょう)であると認識してはいるのですが、ただ残念なことに、氏族のルーツが伊佐氏ではなく中村氏と伝えられています。
さらに、伊達氏の中世における活躍は我々にとって発見でした。鎌倉時代から室町時代中期にかけて、伊達氏は福島県北部から東北地方南部に領地を拡大していったのです。その約100年後、安土桃山時代には伊達政宗が登場するに至ります。